2020
10.13

事故による記憶障害に悩まされながらも、言葉を紡ぐセンスを活かし書の道を進む

Physical Challenger

事故による高次脳機能障害 清水樹 氏

完全なもらい事故で高次脳機能障害による記憶障害に。記憶の回復は『グラデーション』

大学1年の時、バイク事故で高次脳機能障害の後遺症が残り、記憶障害、左半身麻痺、構音障害(正しい発音ができない)などの後遺症を持つ清水樹さんを、ご自宅に近いJR橋本駅にお尋ねしました。現在はリハビリを続けながら、書道展を開くなどの活動をされています。

「僕の生まれは横浜らしいんですが、2歳までしかいなかったので、記憶はなくて、2歳からこの近くの町田市相原っていうところに30歳の現在まで住んでいます。大学受験では3教科だけ無茶苦茶頑張って(私立は3教科受験でいい場合が多いから)、青山学院大学の経済学部に入学しました」

「大学1年生の年(2010年)の1月、バイトの飲み会があって、バイクでは行けないから、(飲み会が行われる)相模原キャンパスの近くのばあちゃんの家にバイクを停めてから行こうと出かけたところを事故にあったんですね。町田街道の馬場(ばんば)って交差点です」

バイクを停車中に後方から追突したトラックに反対車線に押し出されて対向車に衝突する、という完全なもらい事故。頭を強く打ち、1ヶ月を意識不明で過ごします。

「事故の瞬間のことは全然覚えてなくて、意識が戻っても呼びかけに全然反応しない、という状態で、専門用語で遷延性意識障害、っていうらしいんですが」

「その後意識がちゃんと戻って反応できるようになるまでに3〜4ヶ月はかかったと思います。その年の桜を見た記憶はないので、もっと後だと思うんですが、意識が戻り始めたころ、大学に入ったことを忘れていて、自分がまだ高校生だと思っていた記憶があります」

今でも若干の記憶障害は残る、という清水さん。

「意識の回復って、グラデーションの変化みたいなんです。意識のまったくなかった状態を真っ白とするなら、そこからぼんやりぼんやりと今に至る、という感じ。今はグラデーションの最先端にいるとは思うんですが、それが本当の景色に対してどれくらいの濃さなのかはまだわからないんです」

書道作品展を開くだけあって、言葉の使い方に若いながらセンスを感じる清水さん。自分を書家などとは他の書道家に対して失礼で言えない、とお話されますが、書道との出会いで前に進むきっかけを得られたことは確かなようです。

「たまたま入学した青学の相模原キャンパスが自宅のそばにありました。ですが当時、経済学部は3年生から青山キャンパスで履修することになっていて、バリアフリーの点では相模原のほうが進んでいたし、自宅にも近かったので、最終年度まで相模原キャンパスで履修できる社会情報学部に転部させてもらったんです」

「事故直後は北里大学病院に入院して、そのあとこの近くの神奈川リハビリテーション病院に転院して、自宅をバリアフリーに改装する間は神奈リハの敷地内にある更生ホームに入室してました。そのホームで書道の催しがあって、なんとなく参加したら割と評判がよかったんです。大学に復学してからも、社会情報学部の教授から自分にしかできないことをやることが大切、とお話いただいて、書道の作品をお見せしたところ気に入っていただいて、書道の作品展を開いて卒業の単位にすれば、と勧めてもらいました」

「最初にホームで書いた作品が『濃く生きる』ってものなんですけど、事故を起こす前の自分って、毎晩遊んで、サークルやって、バイトやって、飲み会やって、ってなんか自分の生き方薄かったなあ、と思って書きました」

記憶は消えるけど、記録は残る

その後、大学での作品展には言葉を紡ぐセンスを感じられる作品が多数出展され、テレビの取材なども来るようになります。中でもご本人が印象深いと話すのが、「当たり前・それが意外と・有り難い」という書。

「有るのが難しい、と書いて『有り難い』ですね。僕は中途障害者として、健常者時代の当たり前と中途障害以降の当たり前を経験しました。今当たり前になっていることって、昔は当たり前じゃなかったことも多いですよね。話が大きくなりますけど、選挙権が全国民にあるのだってそんなに昔からではないじゃないですか。別にそんなに僕も選挙に熱心なわけではないですけど。平和もそうですね。当たり前じゃなくて、ありがたいこと」

そのとおりですね。全国民どころか、戦前は女性全員に選挙権がなかった。私たちは今の選挙権を獲得し、戦争の影に怯えなくなってからまだたったの75年しか経っていないんです。そしてこの書は、その後さらに意外なストーリーを生み出します。

清水さんはこの書を掛け軸にしようと業者にお願いします。たまたま筆者は最近、表具師という、奈良時代から続く職人さんを別な仕事で取材したので知ったのですが、掛け軸にする際、書を水で洗って白い部分をきれいにし、シワを伸ばすのが通常です。墨で書いた書は一度乾くと水に溶けません。膠(にかわ)という、動物の皮の内側にあるコラーゲンみたいな物質が墨を定着させるからなのですが、この膠は液体の状態で保存できないので、墨汁には入っていないのです。右手のコントロールが効かない清水さんは、服を汚した時のために、洗濯できる墨汁で書いていたため、書は溶けて滲んでしまいました。

「すっかり滲んで戻ってきた時は悲しかったですが、これも僕が思っていた『当たり前』と先方の『当たり前』が違ってできたひとつの作品かな、と」

「やがて歩けるようになることを目指して、まだまだリハビリは続きますが、気楽にいこう、と思っています。なる様になる、です。最近、書にも書いたんですけど。今僕は歩けると歩けないの間にいますが、なる様になる」

実に言葉の選び方が巧みです。ご本人は、自分で考えるのではなく、ネットなどで読んだ言葉を引用しているだけ、と謙遜しますが、選ぶセンスも大事な書のセンス。

「最近思うのは、これもなにかで読んだんですが、『記憶は消えるけど記録は残る』ということ。書を続けるとしたら、そういう意味もあるんじゃないかと思っています」

かつて長嶋茂雄を称して、「記録より記憶に残る選手」という言葉があり、僕ら還暦世代では記憶は記録より尊い、という常識がありますが、確かに人は記録しないと忘れてしまうか、もしくは美化してしまいますね。

記憶は美化できるので、人間にとって心地いいものではあるのですが、記憶障害に悩む清水さんは、それがたとえ心地悪くても、記録に残すことでそれを受け入れる、という信念を持ってらっしゃるようです。それは強い生き方だと感じました。


清水樹 (しみず・たつき)

1990年神奈川県生まれ
2010年に事故により高次脳機能障害に
本来は『書家』と紹介したいところですが、
ご本人は「それほどのものではない」とおっしゃいます。
将来的に書家を目指さない?という質問には
「バンバン書けるようになればそれもありなんですけど」
リハビリが進んで、「バンバン」書けるようになるよう応援しています

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