2020
08.26

障害があっても楽しく生きていれば、目標ができていろいろなことをプラスに考えられる

Physical Challenger

義手ナース  栗原 慎子 氏

今回は肉腫による右上腕部切断というハンデを乗り越え、義手ナースとして活躍されている栗原慎子さんにお話を伺いました。治療後も発症前から勤めていた認知症専門病院での仕事を続け、今では“義手のことをもっと知って欲しい”という思いからSNSを通じて義手の啓発活動も行っています。

そんな栗原さんですが、病魔に襲われたのは突然のことだったそうです。

「私が病気になったのは2015年の6月。右腕に鶏の卵ぐらいの膨れができたんです。痛みも痒みも痺れもないので、最初は筋肉が付いたのかなくらいの感覚。でも、それがガンだった。肉腫っていう。以前、整形外科に勤務していたこともあり、交通事故や労災で腕や足を切断する患者さんを見てきました。でも、まさか自分がなるなんては思ってもいませんでしたね」

「最初に抗がん剤が効くか分からないけど、効いたら手は残せるかも知れないって言われたんです。でも、検査をしたらもう駄目だった。その頃から手の痺れや痛みがひどくなってきて『もう右手は多分使えない』と思い、利き手の交換訓練を始めました。そして10月に切断手術を受け、今でもガンの再発転移を起こさないように定期的に検査を受けている状況ですね」

義手が作れる義肢装具士、というのが意外にいない

切断した手はいらないから、病理の写真が欲しいとお願いしたという栗原さん。しかし、医師から最初に渡されたのは白黒写真。術後にも関わらず「先生、カラーって言ったでしょ! 私の手なんだから」と喧嘩しそうになったエピソードを笑いながら教えてくれました。そんな彼女に、自身でも「ラッキーだった」と語る出会いが訪れるのです。

「何の運命か分からないけど、失業保険も切れるし働かなきゃと思い、2015年1月から働き始めたのが今も務めている病院。しかも、義手を作れる装具屋さんが理事長室に出入りしていたんです! 本当にラッキーだった。義肢装具士さんはいても、義手を作ったことがない方とか意外と多いんですよ。なので、このチャンスを逃さないように手術が決まってからは『今度は手術になります』とか、ちょこちょこ理事長にアピールしてました(笑)。その甲斐あってか、『装具屋に連絡しといたから。義手を作れるようになったら電話しろ』って理事長が言ってくれたんです」

「こんなのおかしい!」。
ガン患者のリハビリと義手の保険適用

「ウホウホってゴリラの真似をしながら肩甲骨を動かすんです」と、能動義手の動かし方を教えてくれる栗原さん。

運命的な出会いはあったものの、栗原さんは切断したからこそ分かる問題にも遭遇したという。最初に直面したのはリハビリに関して。

「(私には)リハビリを積極的に教えてくれないんです! ガンってだけでメンタルをやられてしまって、リハビリや義手製作までにいたらない患者さんが多いことが理由らしいですけど……。手を失っただけでも歩くバランスが変わるのに、おかしいですよね。逆に『栗原さんは医療従事者だからそういう目線かもしれないけど、ガンの上に手足が切断される患者の身にもなってください!』って怒られたんですよ。おかしいでしょ!? だって、手をなくしても生きていくのは患者ですよ。今も感じていることなのですが、もう少し理解のある作業療法士などの専門職の方が増えてきてくれるとうれしいなって思います」

「あと、健康保険で義手を付けられるのは一人一本。これもおかしいでしょ!?  最初に装飾義手を作ったんですが、仕事上で不備もあったので能動義手を作りたいので申請できますか?って役所に聞いたら、『もう片方の腕もなくしたんですか?』ぐらいのことを言われたんですよ。で、『一人一本しか(お金は)出せない』ってはっきり言われました。それなら、今度は障害者手帳で作ろうと思って申請に行ったら、そこでもまたハプニングですよ。手帳で作る場合は『義手を仮で作って、使いこなせることが必要』だって言うの。さらに『作ってないですよね? まだ使いこなせるか分からないからダメです』って。役所の人も、この仕組みをよく理解されていなかったので、らちがあかなくて……。本当に大変でしたね」

普通の人なら、挫けてしまいそうなエピソードですよね。ましてや生きるために必要なことなのにも関わらず……。日本の福祉問題は、こういった部分も足りていないことが明白と言えるのではないでしょうか?

「レ・フール」と握手しちゃった義手♡

「レ・フール」と握手した義手。

ピアノ連弾で人気の兄弟ユニット「レ・フール」の大ファンだという栗原さん。抗がん剤の治療中も、担当医に「こことここのコンサートに行きたいので、今度の治療はどっちかだけにしてください!」と直談判したこともあったとか(もちろん医師には止められたそうです)。

「レ・フールのコンサートに行くのが、日々の活力の源ですね。病気になっていなかったら毎週行きたいくらい(笑)。今月はいろいろ辛いけど、来月になったら彼らに会える!って考えたら、モチベーションが高く保てるんです。この治療が終わったらコンサートへ行ける!って。あと、私の能動義手ってピアノの鍵盤がデザインされているんですよ。これは元は手拭いです。「好きな布で作れるよ」っていう装具屋さんの一言で、レ・フールのグッズを使って作ってもらいました。でも、鍵盤が逆にデザインされていたんですよ(笑)! 装具屋さんに『作り直す?』って言われたんですけど、この義手でレ・フールと握手しちゃったんで、『もう、大丈夫です』って(笑)。楽しく生きていられれば、目標ができていろいろなこともプラスに考えられますよね!」

栗原さんは前記の通り、SNSで義手の啓発活動にも取り組まれています。SNSを始めたきっかけも、大好きなレ・フールの存在が大きかったそうです。

「彼らがインスタグラムを始めたのがきっかけでした。でも、今は義手に関しての情報格差を感じていることもあり、義手を見てもらいたい、こんな義手もあるんだよっていう情報を発信したいという思いでもSNSを活用しています。塩化ビニールの義手だと汚れが取れないとか、シリコン製だと洗えば汚れは落ちるなどといった情報を知らいない人もいるんですよ。たまにタクシー乗ると義手のドライバーさんに出会うことがあるんですけど、私の義手を見た時、昔は塩化ビニールが主流だったこともあり『リアルで見たことない』って言うです。『運転手さんは、次はシリコンの義手を作るのかな?』と思ったら、新しい塩化ビニールの義手なんですよ。『え? なんで?』って。聞くと『装具屋さんが、これしかないって』って言うんです。多少の値段の問題はありますけど、汚れのこととか考えたら、少し高いけどこっちの方がとか、『こういうのもある』って選択をさせないのかなって。そういうことを教えてあげられればいいのになって思います」

また、栗原さんは啓発活動の一環として中学校での公演も行ったことがあるといい、「小中学生の頃から、義手や義足、車椅子の人と触れ合えていれば、少しは障がい者を取り巻く環境も違ってくると思います。これからは教育の現場で(こうした活動を)取り上げていって欲しい」とも語ってくれました。

日本を義手の先進国にしたい!

50シリコンの義手でサムズアップを披露!

私たちの「もし無尽蔵に予算があったら障がい者のために、何をしますか?」という質問にも「私は、義手に特化したい!」と即答してくれた栗原さん。

「日本って、人件費もかかるので義手に関する施設が全国的に少ないんです。小児の義手に関しては特に。先天性の子もいるのに、小児の義手に対応している施設があるのは、東京と関西の限られた地域だけ。なので、地方の方には厳しい環境。お金持ちだけが定期的に東京へ来て、トレーニングするっていう現状なんです。なので、無尽蔵に予算があったら、日本全国にそういった施設をつくりたいですね」

「日本って、義手なんかなくても生きていけるっていう風潮が根本としてあるんです。さきほども話しましたが、小さいときから義手に関しての教育が行き届けば、この子たちが大きくなった社会では海外のようになっているのかなって。日本が義手の先進国と呼ばれるよう、これからも活動していきたいですね」


栗原 慎子(くりはら・のりこ)

NPO法人「Mission ARM Japan」会員/バリアフリー・フィルム・パートナーズ会員/肉腫(サルコーマ)の会たんぽぽ会員

現在は認知症専門病院で義手ナースとして活躍中

義手を使い分けて、ナースとして活動されている栗原さん

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