2020
08.26

ベストセラー『百歳まで歩く』を出版後、脳梗塞から完全復活した名理学療法士

Critical Worker

JCHO東京新宿メディカルセンター・リハビリテーション士長/理学療法士 田中尚喜 氏

20年にわたる理学療法士としての経験を活かして出版した2007年の著書「百歳まで歩く」がベストセラーとなり、テレビなどへの出演も多い田中尚喜先生を勤務先のJCHO東京新宿メディカルセンターへお訪ねしました。

1989年から理学療法士として活動する田中先生ですが、当時はまだ社会的認知度は低かったと言います。

「18の時に大きな火傷で入院した同じ病室に脊損の方がいらっしゃいましてね。一生懸命リハビリをやっている姿を見たのが最初のきっかけですね。その後、大学受験のための予備校に通ったら、そこにリハビリの学校を志望している人がいたんですね。その人をクルマで学校に連れて行ってあげた時に地元(岩手)にそういう学校があるのを知って、僕も結局そこに入学することになったんです。当時としては珍しかったんじゃないでしょうか。国試も年間1,000人くらいしか合格していない時代でしたので」

そして、1989年から東京厚生年金病院、現在のJCHO東京新宿メディカルセンターに勤務していた最中の2007年、田中先生自身が脳梗塞で倒れられます。

「高次脳(機能障害)というより、失語症がメインだったので、それは問題なく。ま、一応理学療法士の知識がありましたから。患者としてはよろしくなかったと思いますけど(笑)、病室にパソコン持ち込んで、失語症の上そのころは右手が使えなかったので、左手使って仕事の資料とか作ってました」

軽く話されますが、現在では言語にまったく問題ないのはもちろんのこと、右手も普通に使われていて、言われなければ元片麻痺の症状を持たれていた方とは、詳しい人でもおそらく気づかないと思います。
回復期のリハビリにこの病院に転院していた弊社CEOの増本が、同じ障害を持ちながら健常者レベルの状態に回復していた田中先生に会い、目標とする姿を具体的に把握できたことでその後のリハビリに強いモチベーションを保つことができたのは、伊藤博子先生の回でお伝えした通りです。

ヒトの動きと、それに関わる筋肉についての理解は、かなりあると思っています

ちょうど倒れられる直前、長年の理学療法士としての経験を活かし、ベストセラー「百歳まで歩く」を発表。歩くことで健康を維持するためには、大股で足を振って歩くべき、という世間一般に浸透しているウォーキングの常識を覆したことで話題になりました。

「これは、リハビリの常識としても浸透してましたね。片麻痺の人が歩行訓練をする際、患側、動かない方の足も降り出すようにする、と学校でも教わるんですが、そんな必要は全然ないんです」

「歩く、というのは重心を移動させることです。片方の足にあった重心を前に押し出せば勝手に反対側の足は前に出てくる。この繰り返しなんです。なので、僕は足を振り出す、っていう指導を絶対にしない。動かない足を一生懸命動かして前に進むように言うと、どんどん動く側だけ使って歩くようになるので逆効果になってしまいます」

「つま先立ちをさせるのも反対です。普通の人でもつま先立ちすると、ふくらはぎがガクガク、ってなるでしょ?ふくらはぎにはヒラメ筋があって、その外側を薄い腓腹筋、と言うのが覆っています。ヒラメ筋は遅筋(持久力を持ち、疲れにくい筋肉)ですが、腓腹筋は速筋(瞬発力が高く、疲れやすい筋肉)で、これが緊張すると動きがおかしくなるので、足首をこうする(前後に曲げる)ことを無理にさせないんです」

平行棒

インタビューしたのはJCHOのリハビリ室。そこにちょうど歩行リハビリをする際に使う平行棒がありました。

「あの平行棒ね、全部行ったらその後どうすればいいと思います? たいていのPT(理学療法士)は反転してもらってまた逆向きに歩くように指導するんですけど、実は後ろ向きにそのまま歩く方が、正しい体重移動が身につくし、反転する際の、より難しい足の振り出しに苦労することがないんですね」

理学療法士としての長いキャリアのおかげで、ヒトの動きとそれに関わる筋肉を深く理解していることが理学療法士としての誇りです、と言う田中先生。復帰後もご自身の指導経験を活かした健康法の著書をいくつか出版されています。

「例えば、多裂筋、っていう、首から背骨を通って仙骨までつながる筋肉があるんですね。働きとしては腹筋の拮抗筋で、姿勢をよく保ったり、重いものを持ったりするときにも作用するんです。ただ、筋肉の役割、って、解剖してもわからないですよね。動いていないから。筋電図などでデータを取ろうとしてもなかなか取れない場所なんです。そうなると学問にならない。だからPTの教科書なんかにも出てこないんですが、僕は長年のリハビリ指導の経験でここが果たす役割に気づくことができた。そこはよかったと思いますね。後で写真見せますけど、ちょっとしたストレッチで劇的に姿勢が変わるんですよ」

田中先生の理論を伺いながらリハビリをしたら、さぞかし楽しくモチベーションを持って臨めそうですね。

「例えば赤ん坊が何か興味を持ったものを手にする、口に入れる、歩く、といった行為は、何かがしたい、という欲望が最初にあって、何かをしなければいけない、といった目標を持つわけじゃあないですよね? なんでも段階的に進んでいって、気付いたらできてた、というふうに子供は成長しますが、リハビリも同じことだと思います。『今日はここまで』というようにカリキュラム的な無理をさせるのはよくないと思いますね」

「一方で、リハビリは魔法じゃないので、完全に元に戻るわけじゃない。だから、最後の最後までリハビリをしなくちゃいけない、という発想で入院を続ける、というのも違うんですね。やりたいことがあって、それができないならどう適応すればいいのか、というふうに患者さんが考えるような環境作りが大切です」

バリアフリーが進んで、健常者が「おかしく」なってる!?

先生が理学療法士を始めた頃は、世の中にはバリアがたくさんあり、障害を負った患者さんの退院まで(つまり、普通に社会に暮らせるまで)のハードルは高かった、ということですが、 この30年ずいぶん変わったそうです。

「世の中のバリアが減った結果、健常者がおかしくなっている、というか、駅の車椅子用のエレベーターとかほとんど健常者が使ってますよね、特に若い人。あれおかしくないですか? 彼らも全然歩かないから、実は身体的には障害者に近い状況にあったりします。僕の本を30代くらいの若い人が買ってくれることがあって、それはまあいいんですけど、その若さでも、すぐに腰が痛いとかなるらしいんです。だから老後のために、って。彼らがこの先、後天性障害者になったら大変だろうな、と思います」

「あとは小学生でバンザイできない子とか、しゃがめない子っているんですよ。今、なんというか、床と自分の距離感とかバランス感覚みたいなのを把握できている子供が少ない。住む場所も狭くなって、赤ん坊の時ハイハイしなきゃいけない距離も減ったでしょ?すぐつかまる場所があって。それでも保育園の保母さんなんかに聞くと、そのころはちゃんといろんな運動ができているんだけど、小学校上がる段階で椅子に座ることが主になりますし、家でもテーブル、洋式トイレの生活なので、できなくなる子が多くなるようです。こうしたことにも先ほど紹介した多裂筋のためのストレッチは役立ちますよ。普段から雑巾掛けとかしていれば、これも必要ないんですが」

バリアフリーは基本、障害者や高齢者のためのインフラですが、若い頃から使う人がいるので彼らが高齢化したら余計に必要になるなんて、なんとも皮肉なサイクルです。

『ニュータイプ』が実現する、本当の『バリアフリー』

最後に恒例の、無尽蔵に予算があったら、障害者を取り巻く社会のためにどのように使いますか、という質問には実にユニークな答えをいただきました。

「サヴァン症候群(知的障害者や自閉症などの発達障害者が、ある分野で優れた偉才・能力を発揮すること/記憶、計算、芸術などに秀でた人が多い)の人の能力ってすごいじゃないですか。同じように例えば聴覚が悪い人は、耳以外のどこかで音や声を拾っていて、視覚障害者の人は真っ暗な状況で場所とか、色をイメージする手法を持ってるんだと思うんですね」

「人間が持つニュータイプ的な能力を研究していくと、この先、人と会って話さなくてもコミュニケーションが取れるようになるかもしれない。その手法ならば視覚障害、聴覚障害の人も健常者と同じようなコミュニケーションが取れるようになるかもしれない。お金があったらそんな研究に使ってみたいですね」

『ニュータイプって言ってもアムロとかじゃなくて』と先生はおっしゃいますが、それ、そのまんまアムロです(笑)。ちなみに筆者は以前、雑誌『ニュータイプ』の編集長でした。『機動戦士ガンダム』におけるニュータイプ理論は、未来はきっとこうなる、と富野監督が考えたわけじゃなく、人間の性である戦争、戦闘本能を抑制する手段のメタファーとして考えられたもので、さらにその能力を持つ者と持たないものがいると世の中は乱れる、という風刺を描くための小道具でした。

「人間の脳はまだまだ解明できていないことが多いんです。長嶋茂雄さんが倒れられた後は失語症だったんですが、歩く訓練を積極的にするようになったら、言語もよくなってきた。一般に右脳と左脳の役割は右半身と左半身で完全に別れているように思われていますが、経験的に言って現実には1割2割、もう一方の脳も使っていると思います」

『ニュータイプ』を研究することが、健常者、障害者という概念を覆すことになれば、まさに本当の『バリアフリー』社会を実現する、ということになりそうですね。


田中 尚喜(たなか・なおき)

JCHO東京新宿メディカルセンター・リハビリテーション士長/理学療法士
1987年・岩手リハビリテーション学院卒業
著書に「百歳まで歩く」「正しく歩いて、不調を治す。」など多数
日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビ出演経験も多い

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