08.07
「夢の国」くらいの敷地を使って、実験的「No border land」を作ってみたいです
理学療法士
国際マッケンジー協会認定セラピスト・鍼灸マッサージ師
伊藤博子 氏 <後編>
前回に引き続き理学療法士の伊藤博子先生にお話を伺います。日本にはまだまだ移動の自由のためのインフラが整っていない、というところまでお話が進みました。では、仮に大きな予算があるとしたら、こうした問題を解決するために、何から始めればいいでしょうか?
なんて質問をしていたところに増本が到着。実は大渋滞に巻き込まれて、府中から新宿まで3時間もかかってしまっていたのでした。見るなり伊藤先生から「お久しぶりですー。痩せました?」という増本的には嬉しい挨拶で再会。さて、話は質問に戻ります。
「大きな予算があったら、ですよね。例えば、ディズニーランドくらいのスケールの敷地の中に、電動車椅子やシルバーカーで商業施設と住宅地の間を楽に移動できる『No border rand』みたいのを作って、モデルケースにするのはどうでしょう? 障害者だけではなく、シングルで子育てをしている家庭とか、癌や進行性疾患の治療をしながら生活している方、介護をしている方や私たちのような職業の人が、労働シフトをシェアしたり、見守りを担当するとか、互いに自分達ができる仕事や役割を提供し合い、生活を楽しみながら実証実験する。その結果があれば、デベロッパーなんかは勝手にそういう街を作り出すと思う。民間で実証して、お役所は後からついてくればいい、って感じで」
「例えば医療保険制度の下では、私たちが理学療法士と名乗って介入できるのは医師の指示の下、っていう絶対条件があるんですね。一方保険では長期に渡るリハビリ期間の全てをカバーすることができない。もとより、必要なリハビリ期間なんて人によって様々です。そのニーズに応えるべく、私たちが自費でリハビリ施設を開業しても、理学療法士を名乗れない。いわゆる自称セラピストと同じ括り。つまり、駅前の足つぼリラクゼーションなんかと同じ立場になってしまうのです。しかもその違いが患者さんにはわからない」
「欧米など国によっては理学療法士に開業権があるのですが、そこまでいかなくとも、理学療法士が立ち上げた施設にドクターからの診療情報とリハ依頼が届いて、ドクターからの紹介であれば理学療法を独立した施設で受けられる、というようなことになれば、少しは違うと思うので、そうしたことも実験できる場所にできたらいいですね」
増本さんは、周りがきついと良くなる、っていう良いお手本ね(笑)
「今後障害者の環境改善の政策提言も僕らの会社として行っていく予定なんですよ(増本)」
「増本さん、言語、けっこう良くなりましたよね」
「僕がけっこうスパルタなんで(笑)。資料作りや講演なんかは一人で全部やってもらって(那須)」
「周りがきついんだ。やっぱりいいね。吃音もなくなってて、ビックリしました。肘もコントロール出来るようになってるんじゃない?」
「いや、まだ腕はそうでもないかな(増本)」
「でも、そうでもない、って言いながら今、伸ばしてるじゃないですか。良くなってるんだわ。本当に時間を空けて会うと良くなっているのがわかる。やっぱり、長期に渡って関われるっていうのが大事なんですよね」
「そういえば伊藤さん、休みなのに来てくれたことありましたよね。『頑張っているから、状況を確認したい』って言って。『ありがたいわー、俺』って思って励みになった(増本)」
「良く覚えてますね。病棟でやっていた時ね。あと、FIM(フィム)って覚えてます?日常生活動作の評価法の一種。あれでリハビリのスタート時点からの回復曲線っていうのがあって、プラトーになったところで『障害者固定』になる」
「ありましたね。『障害者固定』(増本)」
プラトー?
「それ以上上がらない到達点、目標みたいなものですね。例えば増本さんは最初座ることも立ち上がることもできなかった。そうした人はトイレに自力でいけるようになったくらいで退院になっちゃう。杖使ってでも歩けるからいいでしょ、で終わっちゃう。でも今回久しぶりにお目にかかるともう杖も持っていないし。こうした状態の変化はやっぱりリハビリ職にある人が見つけないといけない」
「増本さんの場合、チャレンジさせてくれる同僚がいたからここまでこられたけれども、下手するとずっと家にいて、奥さんがあれこれ世話するタイプで、自分でやれることも手伝ってたりしたら、『ゆうちゃん大丈夫―?』なんて言われて今でも車椅子を奥さんに押してもらって公園を散歩していたかも…」
「ウチはそれがなかったからここまでこれたんだけど(笑)(増本)」
障がい者と健常者は対峙する関係、という考えには違和感を覚えます
もしかするとまだ入院やリハビリが必要な段階で退院させられ、自己流のリハビリを行わざるを得ない状況の患者さんがいる一方で、いつまでも頑固に入院している患者さんもいるそうで、それもまた別な問題だと伊藤先生はおっしゃいます。
「生活環境に戻る、というのはとても大事なことです。でもよくいるのが、治るまで退院しない、という発想の方。奥さんが来ると、『おいっ』とか言って物を取らせたり、着替えを手伝わせて自分でやらない。そろそろリハビリ終了で退院調整しましょう、って言われても『まだ歩けねえんだから、退院しねえ』って粘る」
「よく知られているように障害には等級がありますが、それは社会福祉サービスを受ける場合の分類であって、その人そのものを決定づけるものではないんです。でも増本さんの時もいたでしょう? やる気のある人のやる気を削ぐような感じの人。要は仲間になりたがる」
「僕が一生懸命頑張っているのに、あんたそんなにやったってどうせ変わらないんだからねえ、っておばちゃん達に囲まれてね(増本)」
「まあ、若い男性だから人気あった、っていうのもあったんですけど、その時のおばさんは左麻痺でしたし、増本さんの右麻痺とそもそも状態が違うんですよね。同じ障害、同じ等級でも個人差があるのが当たり前なのに一緒くたにされちゃう。そうやって同じ分類にあてはめてその人を決めつけてしまうと、障害者自身も健常者と対峙するような立場に自分を置いてしまいがち。残念なことに、障害をアピールすることで利得を得ている人もいるように見えますし、我々は守られていない、というようなクレームや主張をされることがあって、それはそれで違和感を覚えるんです。その一方で、たぶん大多数の人はちゃんと自分で工夫して密かにリハビリしているのだと思います。同じ障害度でも、個人差があると感じます」
社会的分類があると、その中の一員になることで安心を得ようとする。なんかそれ、健常者、障害者とは関係ない話にも聞こえます。
特に日本人にはいわゆる『同調圧力』に弱い、というのは今回のコロナ禍でも浮き彫りになりました。
人間の身体能力の可能性を感じるパラスポーツ
勉強熱心な伊藤先生は、今でもいろんなジャンルのお仕事にチャレンジを続けています。
「2018年、パラ卓球のワールドカップにサポートスタッフとして参加したのですが、みなさんを見ていて、障害者の身体能力ってここまで引き出せるんだ、と身震いしましたね。理学療法士が考えている限界や制限も外してみると、個々の能力はまだまだ引き出せるのかもしれないし、本人の願い次第ではさっきのプラトー、つまり回復止まりの概念が吹っ飛ぶ、とも思いました。だからきっと答えは一つではないんです。その意味では、『患者さんが主役である』とする国際マッケンジー協会の認定セラピストになってよかった、とあらためて感じてもいます」
増本にとって伊藤先生との出会いがとてもラッキーな出来事だったのはおわかりになっていただけたかかと思います。問題なのは誰もがこうした幸福な出会いを得て社会参加を実現できる世界では、残念ながらまだないことですね。
伊藤博子(いとう・ひろこ)
国際マッケンジー協会認定セラピスト/理学療法士/鍼灸マッサージ師
JCHO東京新宿メディカルセンターで理学療法士をして勤務し、2017年独立。
現在はWalk100Physio治療室を飯田橋で開業する傍ら、
南新宿整形外科リハビリテーションクリニック
障害福祉サービス事業所(多機能型)・すみだ晴山苑でも勤務
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